築城年代は定かではない。 南北朝時代の建武4年(1337年)、南朝方の祇園前執行顕詮法眼が成相寺荒河太郎三郎城を攻撃。翌建武5年に成相寺要害。延文2年(1375年)に成相寺城の名が史料に現れる。
永正4年(1507年)丹後に侵攻した若狭国守護職武田元信と管領細川晴元の連合軍は、府中城と成相寺に布陣して今熊野城と阿弥陀ヶ峰城に籠もった丹後守護職一色義有と丹後守護代延永春信を攻めたが落とすことができなかった。
成合寺城が具体的にどこにあったのかは定かではないが、慶雲元年(704年)に創建されたと伝えられる成相寺に関係するものと考えられている。
現在の境内から少し登った所に旧境内地があり、本堂跡や五重塔跡の案内板が出ている。この辺りは応永7年(1400年)に山崩れによって倒壊したときの境内地と云われている。
車の場合、丹後国分寺跡の所から車道があり、境内近くの駐車場に駐めることができる。成相寺の入山料が必要である。
麓からは傘松公園までリフトがあり、そこからバスが成相寺まで20分間隔くらいで出ている。こちらはバス代と入山料が必要である。
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