詳細不明。『丹後国御檀家帳』では日置殿が城主であったと伝え、日置小次郎、日置山城守(大江山城守)などの名が伝えられる。
日置上城は世屋川と畑川との間に聳える標高175m程の山に築かれている。 『日本城郭大系』が示す日置上城は山塊の東端部にあり、かつての水道施設があった所で、そこからさらに西へ登った標高175mの所とその西の山頂部にも遺構が残る。 ここでは便宜上前者を東曲輪群、後者を西曲輪群と呼ぶ。
東曲輪群は現在の上水道施設の北西上、標高80m程の山にあり、主郭から北、南、西へ伸びた尾根に曲輪を展開する。東曲輪群は総じて切岸が高く、深い堀切によって尾根を遮断している。
西曲輪群は標高175mとその西の尾根に遺構が拡がり"u"字状に曲輪が展開する。 東の南北に伸びた尾根は不明瞭な曲輪が段々と続いているが、薮も深く余り見ていない。西尾根側が主郭で、南北に長い曲輪が山頂にあり、北尾根に堀切、西測面と南側面に畝状竪堀群が残っている。
現在の上水道施設の柵の外側を迂回すると山に取り付くことができる。このすぐ上が東曲輪群の主郭部。そこから西曲輪群へは山道が付いているが倒木や薮化などで道は途切れ途切れである。
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