築城年代は定かではない。 永正4年(1507年)若狭国守護職武田元信と管領細川晴元の連合軍が丹後へ侵攻したとき、今熊野城には守護職一色義有、阿弥陀ヶ峰城には守護代延永春信が籠城して戦った。
阿弥陀ヶ峰城は成相寺と傘松公園の間にある標高251mの山に築かれている。南東には今熊野城、北には成相寺城がある。
阿弥陀ヶ峰城は山頂の主郭を中心に南北両側に段々と曲輪が続く。主郭が一段小高く虎口らしき凹みがある。南東の尾根先の腰曲輪には一部土塁が付いている。
傘松公園と成相寺を結ぶ道路沿いから登ることとなる。この道路は一般車両は通行出来ないが歩くことはできる。
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