築城年代は定かではない。
城主は上林下総守晴国であったが、織田氏の丹波侵攻の後に放逐され、高田豊後守治忠が一万石で城主となった。高田豊後守は関ヶ原合戦で西軍に属して田辺城攻めに参加したため改易となり、替わって藤懸氏が上林六千石で転封となり藤懸陣屋を築いた。
上林城は上林川に面した独立丘陵の西側、標高199.3mの古城山に築かれており、現在は公園として整備されている。
上林城は山頂に広い本丸があり、南端が一段小高く天守台とも呼ばれている。南は堀切を挟んで南曲輪、本丸東に東曲輪、北に馬掛曲輪、西に西曲輪が設けられていた。西曲輪の部分では発掘調査で南東側面で畝状竪堀群を検出している。
登り口に駐車場がある。
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