築城年代は定かではないが小田切氏によって築かれたと云われる。 小田切氏は一條次郎忠頼の家臣で、平家に属していた大田切城主の菅の冠者友則を討伐した功によって小田切の地を賜った小田切五郎良満を祖とするといわれる。
小田切帯刀正勝は弘治2年(1556年)に武田信玄に最後まで抵抗した上伊那八人衆の一人で、狐島で磔に処せられた。
小田切城は現在の南割六班集会所の少し南辺りに築かれていたという。 現在は田畑や宅地となって遺構はなく、以前には標柱が建てられていたと云うが、それも朽ちてなくなっている。この城址は「下ノ段遺跡」として発掘調査され堀などが検出されている。