信濃 大田切城しなの おおたぎりじょう
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詳細不明。『吾妻鏡』に登場する大田切の城とも考えられている。これは治承4年(1180年)甲斐源氏武田信義とその子一条忠頼が大田切の城を取り囲みむと、城主の菅野冠者は戦わずに火を放って自刃したという。
大田切城は段丘の北端に築かれている。現在残るのは曲輪の南側でコの字状に堀が巡っている。北側は崖となっており、大半は崩落したものと思われる。