詳細不明。文献にも登場しない城であるが、高遠氏時代には築かれていたとみられ、その後、武田氏によって現在の状態に改修されたと推測されている。
的場城は蓮華寺北背後の城山に築かれている。
主郭Iを最高所として南に伸びた尾根に曲輪を配し、横堀や竪堀を組み合わせて築かれている。
主郭には土塁がなく虎口のある東側がやや高くなり、虎口1の脇に低い土壇の痕跡がある。主郭の北側は横堀16が巡り横堀から竪堀12、13、14が落ちている。虎口1から出ると主郭の北側を回り込んで曲輪IIに接続していたものと考えられる。
主郭の北側には加工された平坦面V、先行図面では曲輪と評価されているVIがある。VIは自然地形で背後の溝も自然地形で曲輪ではなさそうである。平坦面Vも加工されているのは確かだが、もともと大堀切のような地形であったものを山仕事で土橋のようなものを作ったために曲輪状地形になったのではないだろうか。
曲輪IIは南北に長い曲輪で南から東にかけて土塁を設けている。西側中央に虎口2、南東隅近く虎口3を開く。虎口2は横堀8へ、虎口3は曲輪IVに接続する。
曲輪IIIは南端にある城内最大の曲輪で土塁が全周する。北側は細長い曲輪IVで曲輪IIにつながる。土塁の開口部は4ヶ所あり本来の虎口がどれなのか判断は難しいが、虎口6は改変の可能性が高く、虎口4か虎口5が本来の虎口ではないだろうか。
曲輪IIIから南へ続く尾根に土塁状地形で囲まれた小規模な空間Aがある。よく歩かれた山道になっているため類似地形の可能性もあるが、虎口に関連する地形の可能性もある。この場所には東側には二条の連続竪堀1が落ちているが、西側にはなく堀切であった可能性は低い。
曲輪IIから南側の側面には横堀4と横堀8で囲まれている。部分的に溝がなくなって帯曲輪状になっているが、概ね横堀である。横堀8は北端が竪堀10、横堀4は竪堀5のところで段差があり、北側は犬走りになっているが、北端は曲輪IV北端、曲輪IIの側面にも帯曲輪があるが、北端は竪土塁と竪堀11で遮断してあり、横堀、犬走りを伝っても主郭側面には回り込めないようにしてある。
絵島殿菩提寺の蓮華寺の裏に絵島殿の墓があり、近くから柵の中に入ると用水路が山腹を巡っている。山道は東側の麓からつづら折りの堀底道状のものが付いているが、特に目印もなく、山自体どこからでも登りやすい山なので、上を目指して登ればよい。
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