信濃 美篶の春日城しなの みすずのかすがじょう
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築城年代は定かではない。明応年間(1492年〜1501年)頃に春日河内守が在城していたが、天神山城主の諏訪信定との間に遺恨が生まれ、後に本領を失って伊那部の城に移ったという。
天正10年(1582年)高遠城に籠もって織田軍を迎え撃った将のなかに春日昌吉がいて高遠で討死した。
美篶の春日城は円応寺の北にある段丘の南端に築かれていた。現在広場となって片隅に稲荷神社が祀られており、そこに案内板がある。南を段丘、西と東に空堀を設けている。
麓の円応寺には春日河内守の位牌があるという。