築城年代は定かではないが建久年間(1190年〜1199年)に海上与市常衡によって築かれたと云われる。
海上氏(うなかみ)は平安時代末期に千葉常兼の子が海上与市常衡を名乗り、その子常幹は海上太郎と呼ばれたが一時途絶えた。鎌倉時代に千葉介常胤の六男東胤頼を祖とする東系海上氏が現れる。胤頼の子東平太兵衛尉重胤の次男は海上次郎胤方、その三男は海上四郎胤久、四男は海上五郎胤有(森戸城主)と長子東中務尉丞胤行以外は海上を名乗っている。
海上氏の動向は詳らかではないが戦国時代まで続き、北条氏の滅亡とともに海上氏も滅亡した。
中島城は利根川に面した段丘の東端に築かれている。
中島城は銚子地区で最大規模を誇る中世城館で、その規模は東西500m、南北400m程に及ぶ。 台地の上に空堀を用いて曲輪を形成する城で、台地上には大きい曲輪が四つほど確認されている。現在は台地上は畑になっているが、比較的良好に残っている。
城山の西側琴平神社前の道を南へ降りていく辺りに案内板が建っている。
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