築城年代は定かではないが応永年間(1394年〜1428年)に小田原北条氏の家臣大橋山城守康忠によって築かれたと云われるが、その後の動向は詳らかではない。
天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原北条征伐後、信濃国木曾福島の木曾義昌が徳川家康の関東移封に伴い一万石で阿知戸に入封した。文禄4年(1595年)義昌が没すると遺言により、椿海に水葬された。椿海は江戸時代に干拓されたため、石塔が建てられ、現在は木曽義昌公史跡公園となっている。
義昌の後に家督を継いだ木曾義利は、慶長5年(1600年)叔父の上松義豊を殺したことで改易となった。
網戸城は東漸寺の境内付近に築かれていたという。 東漸寺は文禄2年(1593年)木曾義昌が菩提寺として悦道和尚を招いて開山した寺で、ここにも木曾義昌とその夫人、そして木曾家代々の供養石塔三基があり、市指定文化財となっている。この東漸寺境内一帯が付近の水田より微高地となっている。