築城年代は定かではないが簗田氏によって築かれたと云われる。
応永年間(1394年~1428年)には関宿城を築いて本拠を移したが、水海城も支城として維持していた。
簗田氏は古河公方に属して小田原北条氏と敵対していたが、永禄9年頃には一時北条氏に属していた。しかし永禄11年頃には再び北条氏と敵対、天正2年(1574年)ついに簗田氏は北条氏に行、関宿城から退去して水海城に退いた。
その後は水海城を居城としていたが、豊臣秀吉による小田原攻めで小田原城に籠城した簗田氏は戦後に改易となった。改易後は佐竹氏に仕えていたが、佐竹氏が秋田へ転封となると同家を離れ、徳川氏に仕え、子孫は旗本として続いたという。
水海城は古城と新城が別の場所にあったと云われる。どちらも遺構はないが、水海城新城の遺構は水海小学校の南側の神明神社のあたりが主郭で、発掘調査で堀が検出されているようである。