築城年代は定かではないが宝徳2年(1450年)頃に逆井常宗によって築かれたと云われる。 逆井氏は小山義政の五男常宗が逆井に城を築いて逆井氏を名乗ったことに始まる。
天文5年(1536年)逆井常繁は小田原北条家臣大道寺駿河守と筑波で合戦し、討死したと云われるが、この合戦については疑問がもたれている。
天正5年(1577年)頃には小田原北条氏の属城となり、北条氏繁が城主となって城を改修するが、天正6年(1578年)氏繁は「飯沼の城」(逆井城とみられている)で没し、氏舜が城代となる。天正8年(1580年)には北条氏勝が城代となるが、天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐で北条氏は滅亡し、廃城となった。
現在は逆井城跡公園として整備され、発掘調査に基づいて二層櫓、井楼矢倉、櫓門、大台城の主殿も復元され、関宿城の門が移築されている。
逆井城は平地に面した微高地に築かれており、かつては周囲は沼地であったと考えられる。主郭は北側中央にあり方形を基本として土塁と空堀が巡っている。南中央には馬出しと考えられる小さな曲輪、東は櫓門のある所が虎口であったようで、北側に横矢の張り出しを設けている。
主郭を取り巻くように二郭があり、二重櫓などの復元建物はこの二郭に建てられている。現状、西側は水堀、東側は空堀になっている。
関宿城門(移築 城門)
二層櫓(模擬 櫓)
井楼矢倉(模擬 櫓)
大台城主殿(模擬 書院)
櫓門(模擬 櫓門)
公園の駐車場がある。櫓などは開放されており有料施設ではない。