薩摩 鍋ヶ城さつま なべがじょう
△トップに戻る
築城年代は定かではない。宝亀年中に大蔵政房が薩摩に下向して市来院郡司となって住んだのが始まりとされる。
大蔵姓市来氏は市来家房が外孫の惟宗政家に郡司職を譲って以降、惟宗姓市来氏となり、市来鶴丸城に移るまで住んだという。
鍋ヶ城は大里川に面した比高30mほどの台地の上に築かれていた。
鍋城原と呼ばれる台地の上で、一面畑となっており遺構はないが、惟宗広言の墓と伝えられている石塔が残っている。
東下の道路沿いに道標が出ている。