天正16年(1588年)頴娃久音のとき頴娃、山川、指宿の所領を没収され谷山へ移され、頴娃の地は島津の直轄領となった。
慶長5年(1600年)伊集院忠真が一万石で頴娃の領主となったが、わずか10ヶ月で帖佐へ移された。このときの伊集院氏の仮屋は東にある頴娃小学校の地にあった。その後、島津氏の仮屋が頴娃歴史民俗資料館の地に築かれ、江戸時代を通じて代官支配が行われた。
頴娃麓は現在の頴娃歴史民俗資料館の地に築かれていた。特に遺構はなさそうで、頴娃歴史民俗資料館も休館となっているが、入口脇に案内板がある。