この辺りは江戸時代初期の大坂城修築の際に、筑前国福岡藩の黒田家の採石場となっていた。大坂城が完成すると幕府から残石を勝手に持ち出してはならないとの通達があり、切り出した石はそのまま放置されることとなった。この残念石を管理するため、福岡藩黒田家では家臣の七兵衛をこの地に住まわせ、以後代々明治に至るまで石の管理にあたらせた。
七兵衛屋敷は岩谷集落の北端付近、国道に面した高台に築かれていた。国道の拡張工事によって一部破戒され、石垣がわずかに残るだけである。
岩谷地区に流れている川はその名も「城石川」で、大坂城石垣石切丁場跡として国指定史跡となっている丁場がある。このうち天狗岩丁場、南谷丁場、豆腐石丁場、八人石丁場を見てきた。中でも天狗岩丁場は遊歩道がきれいに整備され、巨大な種石や数多くの印が付いた石が残されており、必見である。
国道436号線沿いに案内板がある。天狗岩丁場の登り口に駐車スペースとトイレを完備している。南谷丁場、豆腐石丁場、八人石丁場もそれぞれ近くに駐車スペースがある。