讃岐 星ヶ城さぬき ほしがじょう

城郭放浪記


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讃岐 星ヶ城の写真
掲載写真数
形態
山城(817m/800m)
別 名
なし
文化財指定
県指定史跡
遺 構
石垣,土塁,郭,堀,井戸
城 主
佐々木信胤
歴 史

築城年代は定かではないが南北朝時代に佐々木信胤(飽浦信胤)によって築かれたと云われ、安田城を平時の館とし、星ヶ城は詰城であったという。

南北朝時代に備前国児島飽浦の住人であった佐々木信胤は、細川定禅に従って足利尊氏の応じたが、後に尊氏の重臣高師秋とお才の局を巡って対立し、南朝方の誘いに応じて小豆島へ渡り挙兵した。

興国3年・康永元年(1342年)西国大将軍に任ぜられた新田義貞の弟脇屋義助は、備前児島から伊予今治へ渡ったが、このとき佐々木信胤によって護送されたと云われる。

正平2年・貞和3年(1347年)細川師氏の軍勢が小豆島へ攻め入り、信胤はこれに応じて一ヶ月ほど戦ったが敗れ、降伏した。正平17年・貞治元年(1367年)信胤は白峰合戦で、細川清氏に従って細川頼之と戦い敗れているが、これ以降の消息は不明である。

説 明

星ヶ城は小豆島最高峰の嶮岨山とも呼ばれる標高816.7mの星ヶ城山に築かれている。 星ヶ城山は最高峰の東峰と西峰とがあり、ともに阿豆枳神社を祀った小社が建っている。

西峰の曲輪群は星ヶ神社から続く尾根を幅広の空堀で遮断し、空堀はそのまま北側山腹へと伸びて主郭の北下へと続いて消滅する。堀切の内側は土壇と記された曲輪があり、さらに鞍部に堀切で遮断し神社が祀られた西峰の主郭に達する。東端から北へ降りると「居館跡」と記された微傾斜地があり、空堀状の溝、北下には鍛冶場跡、西下には溜め池跡が残る。

東峰は最高峰で主郭と思われるが、かつてこの辺りには小屋などが建てられていたようで後世の改変が多いようである。最高所には石組みの塔が建っているが、『日本城郭大系』によれば、かつてこの辺りに住んでいた宗教団体の信者が勝手に組み上げたものであるらしく、ミャンマー様式の仏塔であるパゴダだという。中には石仏も祀られ意外と良くできている。

東峰はこの最高所と少し下にある神社の辺りが平坦面であるが、全体的には傾斜が多い。南端には狼煙台とされる窪地、北東隅に出隅、北西には石組み井戸、西山腹に舟形と呼ばれる遺構が残るが、全体的に城郭遺構としはイマイチである。北側に付いている帯曲輪とも空堀ともとれる通路から見ると切岸になっており、一部土塁が残る。

案 内

一般的な登り口は二つある。一つが寒霞渓のロープウェイ駅の所から三笠山を経て登っていくルート(地図)、もう一つがそこから県道を安田方面に行った所にある星ヶ城への専用登山道(地図)。

後者の方が近く簡単に登れそうだが、今回は知らずに寒霞渓の方から登っている。

所在地/地図
香川県小豆郡小豆島町安田字嶮岨山
付近の城(直線距離)
3.0km 讃岐 七兵衛屋敷
3.4km 讃岐 天王山城
4.1km 讃岐 安田城
7.2km 讃岐 小海城山城
8.8km 讃岐 城山城
最終訪問日
2014年3月
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