天明3年(1783年)大久保教翅によって築かれた。
荻野山中藩は小田原藩大久保氏の分家で、大久保忠朝の子教寛が徳川綱吉の小姓組番頭に取り立てられ、そこから出世して一万一千石となって駿河国松長藩として大名に列したことに始まる。
松長藩大久保氏の五代が教翅で、この教翅によって相模国愛甲郡中荻野へ陣屋が移され荻野山中藩となり、一万三千石を領した。荻野山中藩は以降、教孝、教義と続いて明治に至る。
荻野山中陣屋は荻野川に面した台地の南端に築かれていた。現在は陣屋の一部が山中陣屋跡史跡公園として整備されている。
堀や土塁といった遺構は残っていないが、陣屋稲荷があり、地形としてはある程度現存しているようである。
公園に駐車場がある。
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