寛永15年(1638年)多羅尾光好によって築かれた。 多羅尾氏は近衛経平の庶子高山師俊を祖とし、小川城を居城として設楽一帯に勢力を持った一族である。
多羅尾光太の娘が豊臣秀次に嫁いでいたことから、文禄4年(1595年)に秀次に連座して改易された。しかし、その後に徳川家康に召し出されて旗本となった。これは本能寺の変で堺から命からがら本領の三河へ戻る家康を、多羅尾光俊・光太父子が守護した恩に報いたものといわれる。
寛永15年(1638年)多羅尾光好は御代官に任ぜられて千五百石を領し、以後代々代官を世襲した。
多羅尾代官陣屋は上出集落の川の西側にある高台に築かれている。
現在も個人宅の敷地であるが近年整備され、春期と秋期に一般公開されている。一般公開されている期間以外は陣屋跡へ入ることができないので訪れる際には注意が必要である。陣屋跡にある建物は陣屋の遺構ではない。
陣屋は東の道路に面して表門がある。南の下段は伝蔵屋敷、北の上段に陣屋の主屋があった。北端部には庭園跡があり神社が祀られていた。この北側に裏口が有り谷間へ降りるスロープとなっている。
陣屋周辺に見学用の駐車場がある。
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