大隅 太良城おおすみ たらじょう

城郭放浪記


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大隅 太良城の写真
掲載写真数
形態
丘城(200m/30m)
別 名
なし
文化財指定
市指定史跡
遺 構
郭,堀
城 主
菱刈氏
歴 史

建久5年(1194年)菱刈重妙によって築かれたと云われる。 菱刈氏は大隅国菱刈郡菱刈発祥で藤原氏の後裔を称す。 菱刈重妙は保元元年(1156年)後白河天皇の勅命により菱刈両院(太良院と牛屎院)七百余町歩を賜った。建久4年(1193年)源頼朝の命により、菱刈重妙は下向し居城として築いたのが太良城とされる。

菱刈重妙の長子太郎重隆は馬越城を築いて馬越氏、三男三郎重茂は曽木城を築いて曽木氏を称し、菱刈氏は次男で嫡子の太郎次郎重実が継いだ。

弘治2年(1556年)菱刈重豊は、島津氏によって攻められた蒲生城の蒲生氏を救援するため、大軍を率いて北村に陣取った。この戦いは激闘となり、菱刈重豊は自刃して菱刈氏は壊滅的な打撃を受けた。

その後、菱刈氏は島津氏に降り、永禄4年(1561年)頃には菱刈重猛は島津貴久より栗野や横川城などの加増を受けた。しかし、永禄9年(1566年)重猛が没すると、幼小であった嫡子千代丸(後の重広)の後見人として重猛の弟隆秋が実権を握ると、再び島津氏に背いた。

永禄10年(1567年)島津貴久が大軍を率いて侵攻すると、菱刈氏は馬越城に籠もって対抗したが、馬越城は落城、菱刈一族は城を捨てて大口城へ逃れた。菱刈氏は肥後の相良氏などと結んで島津氏に抵抗したが、永禄12年(1569年)菱刈隆秋は相良氏の斡旋で島津氏に降り、人吉へ去った。

説 明

太良城は本城小学校の南西にある丘陵に築かれており、現在は本城町民の森として公園になっている。

太良城は南北に連なる丘陵にあり、北端部に一ノ丸、南に二ノ丸があった。土取などによって遺構は損なわれており、一ノ丸は殆ど残っていない。二ノ丸も土塁のような土盛りを残しているが、これも公園化によるものなのか遺構なのかはっきりしない。

案 内

本城小学校から南へ進むと太良城の碑が建っており、ここから遊歩道が付いている。入口脇に路側帯があり駐車できる。

最寄り駅(直線距離)
9.8km 栗野駅
所在地/地図
鹿児島県伊佐市菱刈南浦
栗野駅(9.8km)
大隅 太良城
大隅 山ノ城(1.8km)
大隅 馬越城(3.2km)
大隅 曽木城(3.2km)
大隅 湯之尾城(3.6km)
薩摩 大口麓(7.9km)
薩摩 大口城(8.0km)
付近の城(直線距離)
1.8km 大隅 山ノ城
3.2km 大隅 馬越城
3.2km 大隅 曽木城
3.6km 大隅 湯之尾城
7.9km 薩摩 大口麓
8.0km 薩摩 大口城
最終訪問日
2012年4月
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