築城年代は定かではないが承久年間(1219年〜1222年)頃に横川時信によって築かれたと云われる。 以後河内守種氏まで六代続いた。
永禄年間(1558年〜1570年)頃には北原伊勢介が領していたが、永禄5年(1562年)北原氏に内乱があり、一族の多くが島津氏に属した為、伊勢介と子の新助は日向国飫肥の伊東氏に内応して横川城に籠った。島津氏は島津義弘・歳久兄弟が横川城を攻め、北原父子は城内で自刃して果てたと云う。
その後は菱刈重猛の所領となり、一族の菱刈中務が城主となったが、永禄10年(1567年)重猛の弟隆秋が島津氏に叛くと菱刈中務もそれに加わり、島津氏によって馬越城が落城すると横川城を棄てて大口城へ退いたという。
城は天降川の南の丘陵に築かれている。 本丸は北から西面にかけて土塁が残る。本丸の西と東は大きな空堀が巡り、北側には横堀が残る。本丸の周囲にも空堀を隔てて曲輪が残っている。
横川icから県道を経て横川中学校を目指す。横川中学校を過ぎてしばらく行くと左側に登山口の道標があり、その脇に駐車スペースがある。登山口から僅か1、2分で本丸まで到達できる。
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