築城年代は定かではないが鎌倉時代に曽木三郎重茂によって築かれたと云われる。 曽木氏は太良城主菱刈重妙の三男重茂が曽木を領して曽木氏を称したことに始まるという。
南北朝時代には曽木藤五郎真義が在城していた。
永禄10年(1567年)島津貴久が馬越城を落とし、菱刈氏一族が大口城へ逃れると、島津氏の家臣宮原筑前守景種、佐多常陸介久政が曽木城を固めた。
曽木城は曽木集落の東にある標高213.3mの山塊から西へ伸びた尾根に築かれている。
細長い尾根に築かれた城であるが、現在はそれを分断するように林道が走っており遺構が損なわれている。林道沿いに空堀や曲輪らしき平坦面を確認することかできるが、東端部分は境界がわからず、自然地形へと徐々に変わっていく。
林道の奥には島津金吾歳久を祀った平松神社があるというのだが、道標に従って歩くも途中で道は消える。
国道246号線から一本東の集落内を通る道に入ると西太良駅跡の公園がある。その石碑の東背後に見える山が城山で、登り口は山の西麓を通る細い車道沿いにあり、平松神社への入口が目印。坂を登り切った辺りが城域。