築城年代は定かではないが古代隼人の城であったと云われ、その後税所氏の城となった。
島津氏が薩摩に入部すると、本田氏が清水城主となった。
天文17年(1547年)本田薫親のとき、島津貴久に従わなかったため、攻め落とされ、薫親は日向国庄内へ逃れた。その後、島津貴久がこの清水城で一年余りを過ごしており、その間に宣教師ザビエルの訪問を受けたとも云われる。貴久の弟島津忠将が清水城主となったが、永禄4年(1561年)廻城攻めで討死、以降も島津氏の城として続いた。
国分清水城は城山公園の北の山に築かれている。
周囲を断崖が巡る天険の要害地形であり、その間の尾根に曲輪を配している。 城内には遊歩道が設置されているのだが、曲輪はこれらの通路によって削られたりして、もともと堀だったのか、土塁なのか、曲輪の一部なのか非常にわかりづらく、全体的に荒れている。尾根伝いに平坦面や土塁、堀状地形もあり、城跡であるのは間違いないが、広範囲に拡がっているものの曲輪の規模は全体的に小さい。
南東の搦手側から遊歩道がある。
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