築城年代は定かではない。
廻氏の城で、永禄4年(1561年)肝付氏によって奪われた。廻氏と島津貴久は友好関係であったことから廻城の奪還を目指して島津貴久・義久父子や貴久の弟忠将などの軍勢が押し寄せた。しかし、この戦いで島津忠将が討死してしまった。
廻城は標高278.9mの山に築かれている。南側には旧日州街道が通り、その一角に島津忠将の墓がある。
廻城の主郭は三角点のある標高278.9mの峰ではなく、一つ西の峰に存在しており、中央が一段小高くなって東に土塁があり祠が祀られている。
東の三角点のある峰が二郭で、こちらも最高所に東側に土塁の付いた小郭があるが狭く西に向かって段々となる。東尾根は三重堀切になっており、林道で一部破壊されているので旧状は不明だが連続竪堀のような地形もある。
南東の県道沿いに道標が出ている。早朝などは「関係者以外立ち入り禁止」の看板があるようだが、昼間はなく、城跡の見学はしてもよいらしい。車は県道沿いの余白に駐車可能。
林道の終点に広い駐車場のようなところがあり、供養塔や廻城の石碑がある。ここの場所はおそらく城外で、北から山に入って行くとすぐに三重堀切がある。
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