築城年代は定かではないが鎌倉時代末期に肝付氏によって築かれたと云われる。
建武3年(1336年)肝付兼重とそれに呼応した肝付兼隆が加瀬田城に籠もり、島津貞久の軍勢と一ヶ月にわたって戦った。
観応2年(1531年)には楡井頼仲の弟頼重が加瀬田城に籠もり畠山氏と戦った。
その後は定かではないが新納氏などが在番していた。
加瀬田城は東へ伸びた比高50m程の丘陵に築かれている。
東西に伸びた尾根を巨大な堀で三つの曲輪に分割しており、東端が主郭となる。
主郭は南下に一段大きな曲輪があり、東端に虎口がある。虎口は桝形状でそこから南下の堀状通路まで屈折した通路が延びており、その通路に対して西には数段の腰曲輪、東側にも曲輪がありその間を通る構造となる。
中央の曲輪は登山口からそのまま真っ直ぐ登ると行くことができ、こちらも南側に段曲輪を備える。一番西の曲輪は行き方がわからず確認していない。
入口は南麓にあり、案内板が設置されている。入口の近くに路駐可能である。