築城年代は定かではないが南北朝時代に楡井頼仲によって築かれたとも云われる。
観応2年(正平6年、1351年)畠山直顕の命によって禰寝清成が楡井頼仲を攻めて落としたという。
戦国時代には肝付氏の城で禰寝氏や新納氏などとも争われた。
高隈城は串良川が大きく蛇行する地点に突き出した比高90m程の山に築かれている。
山は東西に割れるように南北に亀裂が入っており、西側が主郭部、東側が外郭となる。 主郭は北下に三ノ丸、南の山頂部に本丸、二ノ丸と表記されている曲輪群がある。シラス台地の大きな切れ間を通路として登る構造で、本丸、二ノ丸と三ノ丸との間は急峻で虎口となる。主郭部へ入ると南を回って主郭に入る構造となっている。外郭は虎口がなく広い単郭の構造である。
国道沿いに案内板があり、そこから南の道を歩いて行くと小屋のある空き地にでる。この空き地の奥から山に入る道があり、それを登れば主郭に達する。国道沿いに広い余白があり駐車可能。