築城年代は定かではない。石動山天平寺によって築かれた砦が始まりと考えられ、一時阿尾城主の菊池入道の城となった。
天正10年(1582年)本能寺の変で織田信長が倒れると、越後の上杉謙信を後ろ楯として畑山旧臣の温井氏、三宅氏や石動山天平寺の衆徒が立て籠もった。これに対して前田利家や佐久間盛政の軍勢が攻め落とした。
その後は佐々成政の軍勢が守っていたが、天正12年(1584年)の末森城合戦で前田利家の軍勢が攻め落とし、翌天正13年(1585年)の佐々成政討伐でも使用された。
荒山城は越中・能登国境にあり、荒山峠の北東にある標高486mの枡形山に築かれている。現在は公園として整備されているが、この時期はやはり木がないために草が生い茂っている。
主郭は山頂にあり北へ向かって段曲輪を設けている。特徴なのは東尾根の遺構で、石動山城へと通じる尾根道に土橋を残して片堀切を設け、その内側にさらに堀切と折れを伴う通路を設けている。さらに城内に入ったところにも虎口があり、堀切状の通路を北へ曲がって北側から城内に入るように作られている。
県道18号線の荒山峠北側(石川県側)から石動山に通じる林道といっても中央車線のある道を少し東へ入ると荒山城の駐車場がある(地図)
最寄り駅(直線距離)