築城年代は定かではない。
石橋氏の城であったが大内氏によって攻め滅ぼされ、その家臣が置かれた。天正13年(1586年)菊池顕綱らが守る小手森城は伊達と田村の連合軍によって攻められ落城、伊達政宗は石川弾正を城主とした。
しかし、石川弾正は相馬氏と内通して挙兵、天正16年(1589年)再び伊達軍によって攻められ落城した。
小手森城は標高464.0mの山に築かれており、主郭には愛宕神社が祀られている。
比較的急峻な半独立丘陵であるが、城郭遺構には乏しく、山頂が主郭でその周囲に小さな段がある程度である。山腹にはいくつかの民家と畑などがあり、この辺りが城の一部であった可能性もあるが、詳しくはわからない。
南に愛宕神社の参道入口があり駐車可能で、小手森城への道標が出ている。参道は一直線に愛宕神社に登る階段である。