築城年代は定かではない。
延暦年間(782年〜806年)に征夷大将軍坂上田村麻呂が営岡の地に陣所を構え「タムロガオカ」の地名の由来となったという。
康平5年(1062年)源頼義・義家の軍勢が安倍氏討伐のため北上したとき、援軍の清原武則の軍勢と栗原郡営岡で合流した。
室町時代には葛西氏の家臣石川蔵人が居たという。
八幡館は栗原中学校の東にある標高100m程の丘陵にあり、現在山頂は屯岡八幡神社の境内となっている。
主郭は八幡神社境内となっている山頂部で、北下には横堀が巡り、さらに下方にも横堀状の地形が残る。主郭から西尾根に続く参道には一条の堀切があり、堀切は南側へと横堀となって伸びている。さらに西へ進み車道近くにも堀切のような地形があるが、これは旧参道による地形のようである。もう一つの参道は南尾根にあるが、こちらの尾根側には明瞭な遺構は見あたらない。
屯岡八幡神社への参道が西の栗原中学校、南の八幡集落から付いている。いずれも駐車場はない。