築城年代は定かではないが鎌倉時代に伊東六郎左衛門祐長によって築かれたと云われる。文治5年(1189年)源頼朝の奥州征伐で功のあった工藤祐経に安積郡一円の所領が与えれた。祐経は二男祐長を安積に下向させ片平城を居城とした。ちなみに祐長の兄祐持は日向国都於郡城伊東氏の祖である。
永禄2年(1559年)会津の葦名氏が安積郡に侵攻して片平城も葦名氏の支配下となった。天正初期には田村清顕が安積郡に侵攻して片平城は開城、天正4年(1576年)には伊東大和守は大内備前の弟助右衛門を養子とした。天正17年(1589年)伊達政宗の侵攻によって降伏、天正18年(1590年)奥州仕置によって会津に入封した蒲生氏郷の所領となると、片平氏は伊達氏に従って仙台へ移ったという。
片平城は愛宕神社とその西の丘陵に築かれている。
「福島県の中世城館跡」によれば、この愛宕神社が本丸と推定されているようであるが、現地の方との話では片平城としては認識されておらず、片平城は西の山頂にあり現在はそこに片平城(上館城)の標柱が建っている。
愛宕神社の所は神社を囲むようにコの字に土塁が残っている。上館城の方は土橋の架かる空堀で区画された曲輪が二郭あり、ともに土塁が残っている。尾根続きの同じ丘陵にあることからこの丘全体が片平城と見られ、その間にある谷間(現在は畑)辺りに居館でもあったのであろうか。
愛宕神社は東側から参道があり、上館城の方は「郡山市片平ふれあいセンター」南東の交差点から県道142号線を西へ進み、最初の十字路を北へ進んだ上館地区に登り口がある。
最寄り駅(直線距離)