築城年代は定かではない。石沢氏の城で、石沢館から東の新城を築いて移ったと伝えられている。
慶長3年(1598年)『館持支配帳』に「石沢館 二百五十石 石沢長三郎」とある。
石沢館は旧石沢小学校の西にある神社の境内が曲輪とされる。神社境内は南北に細く東西に長く伸びているが、南側に空堀がある。北は段丘であり、かなり細長い地形でこのまま曲輪であったとは考えづらいが、現状の地形はそのようになっている。
新庄は東に隣接する旧石沢小学校である。遺構はハッキリしないが、切岸らしき地形や道路の屈折具合など城っぽさは感じられる。