築城年代は定かではないが南北朝時代に桑折五郎元家によって築かれたと云われる。 貞治5年(1366年)桑折五郎元家は伊達郡桑折より真野郷に移り中館に住んで真野五郎と名乗った。
桑折治部少輔忠家の時に田中城に移り以後桑折氏は田中城を居城とした。 その後の動向詳らかではないが、戦国時代には桑折利家が江垂城代となっている。
中館は真野川の南岸にあり、県道120号線の東、北へ伸びた丘陵に築かれている。
中館は日吉神社の西側にある共同墓地となっている部分が北本丸。その北側の宅地となっている部分が二の丸。北本丸の南に空堀を挟んで南本丸がある。
北本丸は墓地や畑となっているが、北と西、そして空堀に面した南側に低土塁が残る。南側の林の中に空堀があり、その南側に畑となっている南本丸がある。南本丸も西と南、空堀に面した北側に土塁が残る。西の土塁は内高3m程あり良く残っている。
日吉神社は北畠顕家が籠もった霊山城が落城した際に、桑折元家がその守護神山王大権現と熊野権現を奉じて逃れ、この地に安置したのが始まりという。
県道120号線から中館集落に入り日吉神社を目指す。日吉神社付近に案内板が建てられている。
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