詳細不明。本丸城主の広戸氏の居城と伝えられ、天文2年(1533年)尼子氏が美作へ侵攻した際に家臣三好安芸守により矢櫃城は落城、城主広戸広家は自刃し、嫡子新三郎は尼子氏に捕えられ出雲へ連れ去られた。
矢櫃城は広戸仙(爪ヶ城山)山頂から南東の甲山方面に伸びた尾根の先端、標高910m付近に築かれている。
矢櫃城の全長は200m程で、尾根上に直線的に曲輪を配した連郭式山城で前後二郭で構成される。主郭は尾根先端部とみられ、ここに案内板が設置されている。北西背後は土塁と三重堀切を設けて遮断している。北西の曲輪は中央が小高く削平され、背後は切岸でその下部に二条の堀切がある。
案内板によれば、矢櫃城の名の由来となった岩穴が南の西よりの斜面にあるという。「洞穴コース」というのが西側の中腹を通って矢櫃城を迂回するように設けられていたようですが、ここは現在崩落により通行止めになっていますが、岩穴を確認するために歩いてみました。道は途中で崩落しているのですが、岩穴自体もはっきりこれとわかるものはありませんでした。
南東先端にある甲山には兜神社があったようですが、この部分にも城址の雰囲気があります。背後は岩尾根で堀切にはなっていませんが急峻で、山頂から南側に向かって削平地があります。
広戸仙(爪ヶ城山)へのハイキングコースがあります。一般的には声ヶ乢から登るようなのですが、矢櫃城を経由して登りたかったため、甲山を経由して登る登山口から入りました。(地図)登山口が標高600mになるので比高300m程で約35分かかりました。
最寄り駅(直線距離)