築城年代は定かではない。
赤松氏の一族小原信明が在城していた康安元年(1361年)に、美作に侵攻した山名時氏によって落城した。その後、宇野家貞が在城の後、新免貞重の居城となったが、明応2年(1493年)貞重は竹山城へ居城を移したという。
山王山城は大原駅の東に聳える標高355mの山頂に築かれている。 現在は市指定史跡として整備されており、高い切岸、深い堀切、周囲に巡る畝状竪堀群と見所満載の山城である。
山王山城は北東山頂部の主郭部と南西峰の2つの曲輪群から構成されている。
主郭Iを中心とする主郭部は南の曲輪II、IV方面と東の曲輪III方面に伸びる尾根に曲輪を展開する。
曲輪IIIは北側に低い土塁があり、西端部分では土塁の食い違いが見られる。東から北にかけて横堀9が巡り、そこから畝状竪堀群8が伸びている。東端東尾根は横堀9と二重堀切10と合わせて三重の堀切になっている。
主郭から北西に伸びた尾根には連続堀切7がある。最上部は二条の竪堀を組み合わせたような堀で、その下方に四条の堀切を連ねている。
主郭の南尾根は南端東部からスロープで南北二段の曲輪IIに通じ、そこからさらにスロープで曲輪IV上部まで通じている。曲輪群Vとの間には三重堀切5を設け、そこから曲輪IVの西下にある犬走り状の緩斜面から谷に向かって連続竪堀を設け、曲輪IV南下の畝状竪堀群6まで連ねている。
南西峰にある曲輪群Vは中心となる曲輪Vに低い土塁が残り、そこから北東の三重堀切5に面した曲輪にも土塁が残る。南に続く曲輪VIの南端に小原山王山城の石碑があり、南端部には一段低く土塁囲みになった曲輪VIIがある。
南端尾根は南東と南西にそれぞれ堀切と連続竪堀を組み合わせた畝状竪堀群1、2があり、その間には二条の竪堀がある。そこから西側面の畝状竪堀群3へと続いている。
曲輪Vの北西尾根は不明瞭であるが堀切4と竪堀4を組み合わせた遺構がある。
南西麓にある大原神社の裏側から登る道がある。道はほぼ自然尾根であるが、曲輪に近づくと木の階段が現れる。
車は大原神社入口にも駐車可能だが、美作市役所支所、大原公民館のところに観光用駐車場がある。
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