築城年代は定かではない。応永32年(1425年)岩松満長が足利持氏より丹生郷の地頭職を賜わり、地頭代成次を置いたという。
弘治年間(1555年〜1558年)頃の城主は新田景純であるが、永禄初期の頃に武田信玄に属し、甲斐へ移った。永禄4年(1561年)武田信玄は国峯城を攻略し、小幡氏を国峯城に復帰させると、丹生城はその支城として小幡氏の所領となり、永禄10年(1567年)景純の子信純は後閑城主となって後閑氏を名乗った。
城は金乗寺の西の山に築かれている。 主郭は山頂の南東端にあり、南側に張り出した櫓台があり、その下に雨水を溜めたという三日月形の堀込みのある三日月石がある。背後は堀切で曲輪が続き、高速道付近にも堀切が残る。
金乗寺を目指す。金乗寺の前の道をそのまま山へ進むと高速道路を跨ぐ陸橋へ繋がるが陸橋の手前に丹生城への入口がある。
最寄り駅(直線距離)