康治2年(1143年)湯浅宗重によって築かれた。
湯浅氏は藤原鎌足の子孫で、平治の乱では熊野まいりから引き返す平清盛に兵30騎を率いて加勢した。
源平合戦では源氏に付き後に鎌倉幕府から阿て(氏に_)河荘・保田荘・田殿荘・石垣荘の地頭職に任ぜられた。
南北朝時代には南朝方となったが、南朝方が不利になるに従い湯浅衆も内部分裂し勢力は衰退した。
湯浅城は天守風の建物がある国民宿舎湯浅城の南にある丘陵に築かれている。 以前訪れた際には登り口がわからず、探しているうちに日が暮れてしまって散策できずじまいであったが、今回再訪すると登山道はもちろんのこと、曲輪には模擬門や逆茂木まで付けられていた。入口は鍵がかかっており電話して開けてもらう。なんでもここ二年くらいで地元の方々が地道に整備しているようである。ありがたいものである。
湯浅氏累代の本城であるが、規模はそれほど大きなものではなく、山頂の主郭から西、東、南に広がる各尾根に曲輪があり、堀切や土橋、土塁などが残っている。
国民宿舎湯浅城を目指す。そこから南の川沿いの道に出て南東側に進むと入口がある。入口は鍵がかかっているので、そこに記された電話にかけると開けてもらえる。(入口の地図)
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