築城年代は定かではないが湯浅宗重によって築かれたのが始まりとされる。
湯浅氏の祖である湯浅宗重によって築かれた岩村城がその始まりとされ、屋島合戦で敗れた平忠房が平家の残党五百を率いて湯浅宗重を頼った。これを追討する源氏の軍勢を湯浅氏はこの城に籠もって三ヶ月戦った。
応永7年(1399年)に紀伊国守護職として畠山基国が入国すると、その弟の畠山満国が城主となり岩室城と改称された。天正13年(1585年)羽柴秀吉の紀州攻めによって落城し廃城となった。
岩室城は有田川北岸の標高274mの岩室山山頂に築かれている。
岩室城は山頂を中心として南西、南東の尾根に曲輪を展開している。 主郭は北端に土塁が付き、西に二段、南東にも数段の曲輪が続く。西尾根は堀切が一条あって広い曲輪があり、その先端が櫓台状の土壇でさらに一条の堀切が残る。
南麓にある福勝寺を目指していけば良い。この辺りから城跡への道標が出ており、それに従って進んで行くと山頂北尾根の駐車場に至る。ただし、この車道は普通車でも何とか登れるが、基本的に農作業用林道で狭く急勾配が多いので、不安がある人は歩いて登るのが良いだろう。
最寄り駅(直線距離)