紀伊 平城きい たいらじょう
△トップに戻る
天正16-17年(1588-1589年)にかけて豊臣秀長の軍勢(吉川平助、吉川三蔵、堀内氏善)が多尾の城に籠もる北山方を攻めた時に布陣した城という。
平城は平集落の東背後に聳える標高361mの山に築かれている。
山頂部が城跡とされ石積が少しあるものの、明確な遮断線などは確認できず、遺構ははっきりしない点が多い。山頂西側から北西に伸びた尾根に、低い土塁で囲まれた曲輪がある。
道はないが山は歩きやすい。南西麓、山裾のフェンスの隙間から山に入ることができる。