紀伊 口有馬城きい くちありまじょう
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慶長4年(1599年)堀内安房守氏善によって築城がはじめられたが翌慶長5年(1600年)関ヶ原合戦によって完成を見ることはなく、氏善は西軍に属して改易となった。
口有馬城は海岸寺付近にあったという。辺りは宅地化していて明確な遺構は残っていないが、当時の遺構といわれる石垣が海岸寺、天理教有井分教会の南に残っている。