築城年代は定かではないが永享年間(1429年〜1441年)頃に清水門善坊によって築かれたと云われる。
清水門善坊は実方院家臣であったが、天正11年(1583年)堀内氏善によって攻め落とされた。
石倉山城は那智川とその支流の沿って東へ細長く伸びた丘陵に築かれている。
主郭は西端にあって東西二段となり、西尾根は堀切で遮断している。東隅に石積遺構があり、石段らしきものが虎口とともに存在する。南側には狭い帯曲輪状の段、北側は土塁が付いているが尾根自体が細いため曲輪は狭い。東尾根にも堀切があり、東端は岩がゴツゴツしているが尾根の先端に堀切のような遺構がある。
津波避難用の階段があり山上まで登る事ができる。ここから西へ進めば主郭に至る。
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