築城年代は定かではないが蔭山勘解由広氏によって築かれたと云われる。 蔭山氏は永享の乱によって乳母に連れられ河津の地に落ちのびた関東公方足利持氏の七男広氏が、在地の蔭山氏の婿となって初代となり、蔭山勘解由広氏と称して築城したという。
蔭山氏はその後、広親・広忠・家広・忠広と続き、戦国時代は小田原北条氏の家臣であった。六代氏広のとき豊臣秀吉の小田原征伐があり、北条氏降伏後は北条氏直に従って高野山へ赴いた。七代貞広は徳川家康に仕え、江戸時代は旗本として千二百石を領した。
河津城は河津川河口の北岸に聳える標高180m程の山に築かれている。 現在は河津城跡公園として整備され、冠木門や城柵を模した建物が建っている。
季節外れの暴風雨の中、登ろうかどうか悩んでいたが、道は整備されているようなのでカッパを着込み傘をさして登った。本来なら河津桜まつりで賑わいを見せているはずなのだが、暴風雨でだいぶ散ってしまったのではないだろうか。
河津城は南北二段の主郭を中心として周囲に小さな段がある程度の城で、北尾根と北東尾根を堀切で遮断している。堀切の下に見えるのだが、背後に車道があり、はじめはそっちから登るのかと思ったが、どうやら別荘地で入口に立ち入り禁止とあった。
河津駅から北側へと進むと、線路を潜る道がある。これの西側に河津城跡公園への道標が出ている。付近には駐車場はない。
最寄り駅(直線距離)