築城年代は定かではないが南北朝時代に新田義氏によって築かれたと云われる。
笹山城のある一帯は石見国国府が置かれた地で、暦応3年・興国元年(1340年)石見の国司として下向した日野邦光や新田義氏らが居城したと云われる。
笹山城は浜田東中学校の北に聳える標高60m程の山に築かれていた。 国土地理院の地図にも凸マークが記され、「笹山城跡」とまで記載されているのだが、はっきりした遺構もなければ、案内板すら見つからなかった。
西にある伊甘神社には国府の碑があり、北東麓には下府廃寺塔跡などがあり、古代石見の中心地である。
北東の道路から木組みの階段があり、簡単に山に入ることができたので確認できる範囲で歩いてみたが、山上は基本的に畑になっていたようで、その跡が残されている。城跡らしい地形は南へ伸びた尾根の部分にあり、北側を削り込んで切岸とし、北端頂部から南へ平段が連なっている。
北側の下府廃寺塔跡から西へ道なりに進むと木組みの階段が山上に向かって付いている。
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