詳細不明。城主は上村下野守長武(神村とも)と伝えられる。上村長武は永禄年間(1558年〜1570年)頃の人で本明城主の福屋氏に属していたという。
神村城は県道297号線と水尻川との間に西へ伸びた丘陵の先端頂部に築かれている。
単郭の城で東背後を大堀切で断ち切って遮断している。主郭はこの堀切に面して土塁を設け西に向かって階段状に削平地を連ねる。段の一部には南側に土塁があり通路のようになっている。その下の曲輪は馬蹄形で南側に土塁、北側には石列を確認することができる。
西側尾根には堀切は確認できないが、南西斜面に竪堀がいくつかあり、一部は堀底道になっている。
国土地理院の地図に点線で山道らしきものが描かれているが、いずれも民家の敷地内から通じるのか入口が確認できなかった。南側の県道脇から山に取り付くことができる。
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