日向 田之上城ひゅうが たのうえじょう
△トップに戻る
築城年代は定かではない。文和元年(1352年)人吉の相良氏が真幸院を攻めたとき、畠山修理の代官後藤新左衛門並びに和田又次郎が籠もった田上城を攻め落として稲荷城へ入ったことが『相良家文書』に記されており、このとき落城した。
田之上城は上江の田ノ上集落一帯に築かれていたようである。段丘の上に位置しており現状は宅地や田畑で明瞭な遺構は残されていない。かつて行われた圃場整備で外堀が検出され、掘立柱建物跡も見つかっており、遺物は15世紀から16世紀が中心であったという。