日向 加久藤城ひゅうが かくとうじょう

城郭放浪記


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日向 加久藤城の写真
掲載写真数
形態
山城(260m/60m)
別 名
久藤城,覚頭城
文化財指定
市指定史跡
遺 構
土塁,郭,堀
城 主
北原氏,島津義弘,川上忠智,南郷若狭守
歴 史

築城年代は定かではないが応永年間(1394年〜1428年)に北原氏によって築かれたと云われる。

飯野城主の北原氏の城で、徳満城の支城であったが、北原氏に代わって島津義弘が飯野城主となったとき、久藤城に新城と中城を拡張し加久藤城と名付けた。加久藤城には広瀬夫人と長子鶴寿丸を住まわせ川上忠智を城代とした。

元亀3年(1572年)伊東氏が加久藤城の鑰掛口を攻めた「木崎原合戦」の舞台となり、島津軍に敗れ壊滅的打撃を被った伊東氏はその後衰退の道をたどっていくこととなる。

説 明

加久藤城は本丸に神社が祀られ整備されている。

神社の祀られた東西に長い曲輪があり、淵に若干低い土塁が残っている。南へ降りた山腹に曲輪が拡がり、山腹にはさらに竪堀や土橋、南尾根へと曲輪が続いている。この辺りはシラス台地の急峻な地形となっている。

東の山に中城と新城がある。中城は城内では狭い曲輪であるが、西に堀切があり、東の新城とは土橋で繋がる。切岸はシラス台地特有の垂直の壁である。

新城は広大で淵に土塁が残っている。西は植林されているが、東側は植木をおいてある。南北に道路が通っているが、その東側にも曲輪は拡がっている。

南麓には夭折した島津義弘の長子鶴寿丸の墓がある。

案 内

山頂にある神社まで車で行くことができるが、小回りのきく小型車でなければ行くことはできない。

新城・中城は一度降りて車道を使って東から行くのが簡単。

最寄り駅(直線距離)
1.7km えびの駅
3.7km えびの上江駅
5.2km 京町温泉駅
5.6km えびの飯野駅
7.1km 矢岳駅
所在地/地図
宮崎県えびの市大字小田字城内
付近の城(直線距離)
0.8km 日向 平城(えびの市)
1.2km 日向 園田城
1.3km 日向 大明神城
2.0km 日向 宮之城
2.4km 日向 稲荷城
2.5km 日向 溝園城
2.6km 日向 柿ノ木城
2.7km 日向 徳満城
3.1km 日向 小屋敷城
3.4km 日向 馬関田城
3.8km 日向 見吉城
3.9km 日向 古城(上江)
4.0km 日向 長徳庵
4.1km 日向 畑田城
4.4km 日向 飯野城
4.5km 日向 田之上城
4.8km 日向 金丸城
5.6km 日向 古城
6.5km 日向 猿ヶ城
7.0km 大隅 亀鶴城
7.2km 日向 赤花城
7.3km 日向 永野城
8.0km 日向 今城
8.5km 日向 大河平城
最終訪問日
2015年1月
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