日向 飯野城ひゅうが いいのじょう

城郭放浪記


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日向 飯野城の写真
掲載写真数
形態
山城(280m/60m)
別 名
亀城
文化財指定
市指定史跡
遺 構
土塁,郭,堀
城 主
日下部氏,北原氏,島津義弘,島津久保
歴 史

永暦元年(1160年)真幸院の収納使であった日下部重貞によって築かれたと云われる。

南北朝時代になると日下部氏は没落し、肝付氏の庶流である北原兼幸が飯野城主となった。その後北原氏が代々続いて真幸院一帯に勢力を拡げたが、北原兼守が没すると家督争いとなり伊東氏によって所領は併合された。

一度滅亡した北原氏であったが一族の北原兼親が相良氏を頼って逃れていた。相良氏はこの兼親を当主として北原家を再興するべく島津氏や北郷氏と結んで真幸院へ侵攻し、馬関田城まで軍勢を抜いて伊東氏を追い払うと、北原兼親が飯野城主に返り咲いた。

しかし北原兼親は周囲からの侵攻を防ぎきれず、所領を守ることができなかったため、島津貴久によって薩摩国伊集院へ移され、飯野城には貴久の二男島津義弘が置かれた。

元亀3年(1572年)伊東氏が真幸院に侵攻し加久藤城を攻めたが容易に落城せず退陣した。木崎原で休憩していた伊東軍に対し義弘が300騎余りで攻め込み一時退却するも蒲田尾張守などの援軍を得て再び挑み大将伊東加賀守など錚々たる面々を討ち取った。この木崎原合戦でも義弘は飯野城から出撃している。

天正15年(1587年)豊臣秀吉による九州征伐の後は義弘の二男久保に飯野城が安堵されている。

説 明

飯野城は川内川北岸のシラス台地の上に築かれており、現在は亀城公園として整備されている。

飯野城は本丸、二の丸、三の丸、射場、物見曲輪などの名称で曲輪があり、このうち本丸、物見曲輪が公園整備され、射場が駐車場になっている。

シラス台地を利用した群郭式で本丸の北に東西に長い三の丸、東に二の丸がある。本丸と三の丸の間からは加久藤城に繋がる裏道が延びている。

木崎原古戦場はえびの市池島(地図)にあり、県指定史跡となっている。

案 内

南の入口に冠木門があり、その奥に駐車場がある。

最寄り駅(直線距離)
2.7km えびの飯野駅
2.7km えびの上江駅
5.0km えびの駅
7.1km 西小林駅
9.5km 京町温泉駅
所在地/地図
宮崎県えびの市大字大河平(亀城公園)
付近の城(直線距離)
0.4km 日向 金丸城
0.4km 日向 長徳庵
1.7km 日向 田之上城
2.3km 日向 古城(上江)
2.5km 日向 宮之城
3.0km 日向 永野城
3.3km 日向 大明神城
3.8km 日向 平城(えびの市)
3.8km 日向 今城
4.3km 日向 大河平城
4.4km 日向 加久藤城
4.6km 日向 大河平館
4.9km 日向 柿ノ木城
5.4km 日向 稲荷城
5.6km 日向 園田城
5.7km 日向 小屋敷城
5.7km 日向 溝園城
5.7km 日向 畑田城
7.1km 日向 徳満城
7.6km 日向 見吉城
7.7km 日向 馬関田城
9.8km 日向 古城
最終訪問日
2015年1月
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