伯耆 手間要害ほうき てまようがい

城郭放浪記


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伯耆 手間要害の写真
掲載写真数
形態
山城(329m/300m)
別 名
天満要害,岩坪城,天万山城
文化財指定
なし/不明
遺 構
土塁,曲輪,堀切
城 主
日野氏,毛利氏
歴 史

築城年代は定かではない。

城主は日野氏で尼子氏に属していたが、永禄年間(1558年~1570年)頃には毛利氏に したがっており、この頃、毛利の武将杉原盛重によって手間要害の改修が行われている。

永禄5年(1562年)本城常光が毛利氏によって粛清されると、手間要害の日野氏をはじめ江美城蜂塚氏、長台寺城福山氏などが尼子方に復帰する事態となったが、永禄7年(1564年)頃には杉原盛重によって手間要害は落城し、杉原氏の家臣が在番した。

永禄12年(1569年)尼子再興軍が伯耆一円の諸城を攻めたが、手間要害は落城しなかった。

天正12年(1584年)杉原盛重が没した後、杉原氏の内紛が勃発、手間要害も毛利軍によって攻め落とされ、廃城となったという。

説 明

手間要害は標高331.7mの要害山に築かれており、現在は登山道が整備されている。

手間要害は山頂を中心に曲輪群が各ピークに点在する形で拡がっており、城域自体は広いが曲輪間の連携は薄く独立性が強い縄張で、古い形態の城である。

主郭は山頂にあり神社があるが、南北に伸びる尾根に広い曲輪が連なる。南端の曲輪に一部土塁がついている。段曲輪の東側が登山道となっているが、西側も通路になっており、通路の間を段曲輪が続いている。

主郭の南峰にある曲輪も規模が大きく、こちらも南側に土塁がついている。

主郭の北峰にある曲輪は規模が小さくなるが、北へ伸びる段曲輪の西側に通路があり、北端の曲輪は東側に土塁が残る。

案 内

登山道はいくつかあるが、北東側にある池の脇から登るルートがわかりやすい。

北の県道から赤猪岩神社を目指して行くと手間要害の道標がある。そこから谷筋の道を奥へ進んで行くと終点に広い駐車場があり、その手前に登山口の標識がある。

最寄り駅(直線距離)
6.6km 岸本駅
7.7km 米子駅
7.9km 伯耆溝口駅
8.4km 東山公園駅
8.6km 博労町駅
主な参考文献
会見町誌-続編
鳥取県中世城館分布調査報告書 第1集(因幡編)(鳥取県教育委員会)
日本城郭大系〈第14巻〉鳥取・島根・山口(新人物往来社)
所在地/地図
鳥取県西伯郡南部町寺内(要害山)
GPSトラックデータダウンロード :[KML形式 ][GPX形式 ]
付近の城(直線距離)
0.9km 伯耆 久明山城
1.1km 伯耆 善棚山城
1.3km 伯耆 高姫根小松砦
1.4km 伯耆 高姫方形館
1.7km 伯耆 峰山砦
1.8km 伯耆 三崎館
1.8km 伯耆 古要害
2.0km 伯耆 宮前館
2.3km 伯耆 村尾城
2.6km 伯耆 小鷹城
2.8km 伯耆 小松城
3.0km 伯耆 外構城
3.1km 伯耆 篠相城
3.1km 伯耆 法勝寺城
3.2km 伯耆 宮谷城
4.0km 出雲 安田要害山城
4.0km 伯耆 上鴨部城
4.9km 伯耆 七尾城
5.2km 出雲 来見城
5.6km 伯耆 蛇山城
5.6km 伯耆 石井砦
5.7km 出雲 高解城
6.0km 伯耆 山市場砦
6.0km 伯耆 石井屋敷
最終訪問日
2023年5月
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