築城年代は定かではないが文明年間(1469年〜1487年)に蜂塚安房守によって築かれたと云われる。以後、二代三河守、三代丹波守、四代右衛門尉と続いた。
永禄5年(1562年)尼子に属していた江美城主蜂塚氏は毛利方となったが、翌6年(1563年)に毛利氏に降っていた本城常光が謀殺される事件をきっかけとして蜂塚氏は再び尼子方となった。翌永禄7年(1564)毛利元就は尾高城主杉原盛重を大将として江美城を攻め落とし蜂塚氏は滅亡、伯耆におかける尼子方勢力は消滅した。
関ヶ原合戦後に米子に入封した中村一氏は城番に矢野正倫を置いたが、間もなく廃城となった。
江美城は江尾駅の東側、日野川に対して舌状に伸びた台地の先端に築かれている。
主郭は東背後に大堀切を設けて台地と切り離し、堀切に面して石積を伴う櫓台を設けている。主郭の西側に堀切を挟んで八幡丸があり、その下に歴史民俗資料館として建てられた模擬天守風の建物がある。
川を挟んで南側の台地に兎丸、やや離れた北の舟谷川の北側台地に銀杏段丸が築かれていたという。主郭の北下にある東禅寺から西側一帯が「土居ノ内」と呼ばれ、蜂塚氏の館があった所という。
徒歩であれば江尾駅東側から歴史民俗資料館(閉館)を経て本丸に至る道がある。車の場合は国道181号線江尾交差点から国道482号線に入り江府町役場方面に進む。役場を過ぎた辺りに右上にあがっていく細い道を進めば堀切に至るが、道が細いので一度台地の上まで国道で登り、最初に右折できる農道に入る。あとは道なりに農道を西へ進めば背後の堀切に至り、土橋の所に駐車できる。
最寄り駅(直線距離)