築城年代は定かではない。 伯耆山名氏の一族、山名刑部大輔久氏累代の居城であった。
大永4年(1524年)尼子氏による東進「五月崩れ」によって落城し、羽衣石城に入った尼子国久の次男誠久が当城に入城した。
天文9年(1540年)尼子晴久が毛利元就を攻めるため大軍を安芸国吉田郡山城に派遣したため、その隙に乗じて但馬山名氏の援軍を得た南条氏が伯耆に乱入し当城も落城、山名刑部が取り戻した。 天正に入り毛利氏が羽衣石城を攻略すると当城も毛利氏の持城となった。
河口城は泊港の南に聳える山に築かれており、現在は自然公園として整備されている。
城のある丘陵部を背後の山から切り離すように巨大な横堀を巡らせており、最大の見どころである。
曲輪は主郭Iが最も広く、南端に櫓台と思われる土壇があり、現状では前面に石垣があり石段も付けられている。前方には方形の土壇と石列もあり、神社と拝殿が設けられていたような痕跡になっている。石垣の積み方からも神社などで整備された跡と思われる。また西から登ってきた入口の先に柱穴のある巨石、付近には礎石らしき石も露呈している。
主郭の周辺には曲輪群II、II、IV、V、VIと帯曲輪、腰曲輪のような削平段が設けられており、外側は切岸加工される。さらに周辺にも削平段があるが、大半は耕作によるものと思われる。
南東背後にある農免道路沿いに案内板が設置されており、そこから入るのがわかりやすい。入口付近に路駐可能。入口から降って行くと開けた地形が拡がるが、右前方にある休憩小屋を目指せば良い。
西麓の泊駅の北側から登るルートもあるようだが未確認。
最寄り駅(直線距離)