築城年代は定かではない。日野山名氏の拠点となっていた城で、天正年間(1573年〜1592年)に吉川広家によって整備されたとも云われる。後に山名和泉守景行あるいは久志路和泉守景行が在城したと云われ定かではない。
慶長5年(1600年)伯耆国一国を領して中村一忠が米子城に入封するが、慶長14年(1609年)一忠は嗣子なく没して改易となった。 慶長15年(1610年)日野郡などに五万石を領して伊勢国亀山より関長門守一政が入封した際、鏡山城が完成する慶長19年(1614年)まで、関氏は亀井山城を居城としたといわれる。
亀井山城は石見川が日野川に合流する地点の東、標高470mの山頂に築かれている。
主郭は山頂にあって周囲に石垣を用いた曲輪が残る。高い所では石垣は3m程に達するが多くは崩れている。隅部が残っている部分は殆ど見あたらないが、算木積みらしき石垣がある。
曲輪は主郭から北西、西、東から北へ伸びた三方の尾根に曲輪が配されている。主郭部に近い曲輪には石垣の跡が多々残っているが、明確な虎口や堀切はなく、削平された段を連ねる構造である。
登山道はない。生山駅前の道を真っすく進み赤い橋を渡ると旧役場跡に至る。ここから山に取り付くのだが、ちょうど谷がありその左側の尾根を登る。50m程登ると尾根上に削平地に至る。ここからは山頂に向かって観測用の黒いホースのようなものが伸びているので、そのまま登ると主郭に達する。
最寄り駅(直線距離)