築城年代は定かではないが建久年間(1190年〜1199年)に山代氏によって築かれたと云われる。 山代氏は建久3年(1192年)源六郎囲が山代浦の地頭職に補任されたのが始まりである。
天正15年(1587年)山代貞のとき杵島郡芦原に転封となり、替わって田尻氏がこの地に入部して廃城となった。
飯盛城は山代東小学校の西に聳える標高352mの城山に築かれている。現在山頂には社が祀られており、公園として整備されたようであるが、現状ではあまり整備されていない。
南北に細長く伸びた山頂部に築かれた山城で山頂の主郭を中心に南北に広い段郭が連なっている。主郭の南下には西側を土塁がついた曲輪があり、主郭の南東側の虎口らしき窪みから行き来していたと思われる。さらに南下には高い切岸があり、南東に石積みの残る曲輪がある。南東の石積みはかなり崩れているものの、石段らしきところがあり虎口であったと思われる。
特筆するべき遺構は南西側に築かれた巨大な二条の竪堀遺構である。内側の竪堀は東側に土塁が付随している。西山麓には○○屋敷という地名がいくつか残されており、こちが大手と思われる。
西の県道から林道に入っていくと田代池、城山の道標が途中にある。林道は細いながらも城山の登山口まで続いているが、田代池の辺りに駐めて歩くのが良いだろう。
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